第拾八話「父の背中」



夢を見ている

お母さんが生きていたあの頃の夢を

お母さん どうしてボクにはお父さんがいないの?―

それはね お父さんが自分の命と引き換えに私の目と新しい命をくれたから―

新しい命?ボクのこと?

そう―


お父さんに会いたい?

うん―

だったら会わせてあげる―

えっ!?

そしてお母さんはボクがお父さんに会いたくなる度にあそこに連れて行ってくれた…


そうだ―

あの人をあそこに連れて行こう―

ボクのお父さんに会えるあの場所に


大好きな―

大切な―

あの人を―


「あっ、おはよう祐一君」
 日曜日の朝、起床して台所に行くとまたあゆがいた。
「なんだ、あゆ。またタダ飯食いに来たのか?」
「うぐぅ〜、違うよ〜。秋子さんにさそわれたんだよ〜」
「ま、どうせそんな所だろうな」
 そう言いながら私も席に座り、差し出された朝食を戴く事にした。
「祐一君、これから時間ある?」
 朝食を食べ終わったらあゆがそんな事を訊いてきた。
「今日か?午前中は『サンデープロジェクト』を見るから時間はないが、午後は空いているぜ」
「じゃあ、午後からボクとキューポラの館に行かない?」
「キューポラの館?」
「江刺駅前にある『伝統産業会館』という一種の資料館ですよ」
と秋子さんが説明してくれた。
 資料館!そう言われて断る理由はなかった。
「ああ、いいぜ」
「えっ、ホントに!ありがとう祐一君」
「行くのはいいとして、どうやって打合わせる?」
「じゃあ、1時半に駅前のベンチで待ち合わせ」
「諒解」
「じゃあね、祐一君。秋子さん、ごちそうさまでした」
 ぺこりと秋子さんに頭を下げ、あゆは台所を後にした。
「それにしても、あゆに資料館に誘われるとは…。正に青天の霹靂…」
「あそこはあゆちゃんにとってかけがえのない場所なんですよ」
「どういうことですか、秋子さん?」
「行けば分かりますよ」
「せめてヒントでも…!!」
「そうですね…、会った事ない大切な人に会える場所…。とでも言っておきましょうか」
 そう言われ、ますます訳が分からなくなったが、行けば分かるという事なのでそれ以上の詮索は止める事にした。


「あっ、祐一君」
 私が待ち合わせ場所に着くと、あゆは嬉しそうに私を出迎えてくれた。
「どうしたあゆ?そんなにキューポラの館っていう所に行くのが嬉しいのか?」
「祐一君とそこに行けるのもうれしいけど、待っていた人が来てくれたのが一番うれしいよ」
「大袈裟じゃないか?」
「うぐぅ〜、そんなことないもん…。それよりも、早く行こうよ」
「あ、ああ…」
 あゆに手解きをされながらキューポラの館という所に向かう。そこは駅からほんの少し行った所にあり、2階建てで壁が白い、どこか昔の建築物を思い立たせるような建物であった。
「さっ、祐一君中に入ろ」
「何々…小・中・高校生100円、大学生・一般200円…。俺とあゆは同じ値段か…」
「祐一君、今とっても失礼なこと考えてなかった?」
「そんな事ないぞ」
「何だかあやしいよ…」
「ん?どごがでみだごどある顔だと思っだら、ひょっとして、日人の娘っ子が?」
 観覧料を払おうと窓口の人に話しかけようとしたら、そちらの方から声がかかってきた。
「うん、そうだよ。さしぶりだね、おじさん」
「やっぱりそうが。暫くすがだみでねぇがらどうすてだが心配だったが、元気そうで何よりだ。それにすても、めんこがった童(わらし)が随分どきれいな娘さんになっだもんだ。こりゃあ、てんごぐの日人も喜ぶべ」
「あゆ?知合いか」
「うん。ボク、よくここに来ていたから」
「そんで、よごのおどごはあゆちゃんのこいびどが何がが?」
「えっ、俺とあゆはそんな関係じゃ…」
「この人は祐一君って言って、春菊さんのいとこの子供だよ」
「はるぎつぁんのいどごどいうど、雪子ちゃんのせがれが?」
「ええ、まあ…」
「いやはや、それにすても二人の歩いでっとごみっと、むがし俺の店さぁ拾ってきた屑鉄持って来だ日人と雪子ちゃんを思い出す。いやぁ〜、なつかすうなぁ〜…。そんなわげで、拝観料はタダにすっから、ゆっくり見でげや」
「ありがとう、おじさん」
 窓口のおじさんに頭を下げ、私達は奥へと進む。まず目の前に見えてきたのは大きな溶鉱炉のようなモジュール。説明によると鋳物の作業に使う「こしき」という物の模型らしい。通路案内板が左に進むよう指示していたので、それに従って進む。
「祐一君、祐一君、見て。これ、お父さんの鉄瓶だよ」
 左側の直行った所にある鉄瓶などの作品が陳列されている棚の鉄瓶を、あゆが指差す。ネームプレートに「(故)月宮日人」と書かれているから、間違いなく本人の物だろう。数々の伝統工芸師の作品に囲まれたその鉄瓶は、決して周りの作品に見劣りしない秀作な作品だった。
「お母さんが言ってた…。お父さんの作品の1つ1つにはこの街が、魂が込められているって…」
「確かに…。この鉄瓶は熱い魂を感じさせる…」
「それだけ仕事をいっしょうけんけいしていたんだよ、作品を創る度に、命を、魂を削って…。だから、お父さんは早く亡くなったって…、お母さんが言ってた……」
 その奥は暗めになっており、明治時代の鋳物の制作現場を蝋人形で再現したコーナーが続いていた。東京タワーの蝋人形館の蝋人形に匹敵する程のリアルな出来映えであり、今すぐにでも動き出しそうだった。その中の1つに、「もののけ姫」に出てきたタタラ場を再現したものがあり、ひょっとしてもののけ姫の舞台はこの地を参考にしたのではないか、と考える。
 暗めの空間が終わるとその先は明るくなっており、右の方には何やら上映室のような部屋があった。
「祐一君、ボクのお父さんに会ったことある?」
 唐突にあゆがそんな事を訊いてきた。
「あるわけないだろ、随分前に亡くなったっていうし…」
「ここにお父さんがいるんだよ…」
「えっ!?」
「さっ、入ろ」
 あゆに後押しされるように私は中へ入る。上映する映像は全部で2つで、前半は鋳物の歴史を、後半は鋳物の作業工程を映していた。
「祐一君、あれがボクのお父さんだよ」
 映像が後半に差しかかり、あゆが映像を指差した。あゆ指差したその人は、額に汗を掻きながら作業しており、その動作は一つ一つが熱く情熱的で、そして無駄のない動きだった。私はそのあまりにも素晴らしい動きに言葉を失った。画像越しに伝わってくる生の衝動、それはまるであたかも本人が目の前で作業しているかのようだった。画面の中の日人さんは間違い無く「生きて」いた…。
「お母さんが言ってたんだ、『ここに来ればいつでもお父さんに会えるから…。もしお父さんに会いたくなったらいつでもここに連れてってあげるから…』って…」
 そこまで聞いてようやく秋子さんの言った事が理解出来た。あゆにとってかけがえのない場所、会った事ない人に会える場所、それはこの空間を指していたのである。顔も見た事ない生前の父の姿を見れる場所…、父親の背中を垣間見れるこの場所は確かにあゆにとってはかけがえのない場所だろう。


「祐一さん、ちょといいでしょうか?」
 あゆと別れ帰宅し一息ついた頃、秋子さんが話し掛けてきた。
「ええ。ところで、どういったご用件ですか?」
「ちょっと祐一さんの体のサイズを測りたいのです」
「別に構いませんが…」
「では腕を横に広げて、少しじっとしていて下さいね」
   言われるがままに、私は腕を横に広げ体を測り易い体勢になる。
「ところで、私のサイズを測る理由は?」
 測る事を了承したものの、何故測るのかを訊いていなかったので、作業中の秋子さんに理由を訊ねてみた。
「ある人に祐一さんの舞踏会用の服を作ってくれるよう頼まれたのですよ」
「えっ、その人ってもしかして佐祐理さん…?」
「ええ、そうですよ」
 そう言えば以前、佐祐理さんが知合いにドレスなどを作るのが得意な人がいると言っていた。そして、秋子さんが知人から服の製作の注文を承ったと言って作業をしていたのはその翌日である。佐祐理さんの父親である一郎党首が春菊さんをお目に掛けていたというから、この二人に繋がりがあっても何ら不思議ではない。
「終わりました、もう元に戻っていいですよ祐一さん」
「ふう。…ところで秋子さん、一つお訊ねしたい事があるのですが、いいでしょうか?」
「ええ」
「以前秋子さんが私が舞さんより強くなると言っていた話に関係する事ですが…。その時春菊さんが私に、『強くなるには血と想いが必要だ』と言ったのです。その意味ご存知でしょうか?」
 10年前、私が舞を超えると言っていたのを知っているのだから、ひょっとして知っているかも知れない。そう思い、訊ねてみた。
「『血と想い』ですか…。祐一さん、應援團の応援活動以外の任務はご存知ですか?」
「『蝦夷の力』の継承ですか?」
「ええ。その『血と想い』と言うのが、『蝦夷の力』を継承する条件の一つみたいなのは確かなのですが、私も詳しくは知りません」
「そうですか…」
「ただ…」
「ただ?」
「『羽出ずる社に護られし山に住まう八百万神(やおよろずのかみ)の長、その者の声聞こえし者、即ち力宿りし者也』…」
「何ですか、それは?」
「この地方に伝わる伝承の1つですわ。何かの参考になるかと思いまして」
「つまり、『神の声』見たいなのが聞こえればその条件を満たしている事になると言う事ですか?」
「大体そんな感じだと思いますわ」
 神社のある山…、そして神の声…。以前この条件を満たした事があるような気がする。だが、その場所が何処であるかは思い出せず、また、その時仮に声を聞いたとしてもそれが『神の声』である保証は何処にもない。…ただ、何となくだが、失った記憶の欠片を見つければ自ずとその答えが分かるような気がする。


「祐一、祐一〜、ちょっといい?」
「ん、真琴か。別に構わないが」
 夕食を終え部屋で休んでいると、真琴が訪ねてきた。別に手が離せない仕事をしている訳でもないので、相手をしてやる事にした。
「今肩とかこってない?」
「肩か…。言われてみれば多少凝っているな。ひょっとして揉んでくれるのか?」
「まあ、そんなとこよ。じゃあ、ちょっと後ろ向いてて」
「ああ」
「じゃあいくわよぅ…。あたたたたたたたたたた……」
「あべしっ」
「どう?少しは疲れがとれた?」
「あたあ!!(C・V神谷明)」
「痛ぁい、ないするのよぅ、せっかく肩こりに効く秘孔ついたのにぃ〜」
「北斗神拳は暗殺拳だろうがぁ〜!!俺を殺す気かっ!?」
「えっ、だってトキさんが北斗神拳は医学にも応用できるって言ってたよ?」
「うっ、確かに言ってはいたが…。って言うか、作中で肩こりに効く秘孔なんか突いていたか?」
「健康に効く秘孔があるなら肩こりに効く秘孔もあるかなぁって…。でも祐一痛そうだったから間違えたかな?」
「お前はアミバかっ!!」
「ポカッ!」
「あ、あうーっ」
「そもそも秘孔自体フィクションで、実際には存在しないぞ…」
「えっ、そうなの!?絵とか秘孔の説明とかがあんまりリアルだから、ホントに存在するかと思ってた…」
「全く…。まあ、俺も子供の頃MMRを本気で信じていたから人の事言えないがな…」
「ええっ!!あれも作り話なの…。てっきり今年恐怖の大王こと世紀末覇者、拳王ラオウが現れて、ラオウ率いる拳王侵攻隊の手により世界が恐怖と殺戮に包まれ、絶望の最中北斗神拳伝承者のケンシロウが救世主として現れるんだと思ってた…」
「……」
 気がつけば北斗の拳所かMMRにまで手を出した真琴。私にはもはや言う言葉が無かった。とりあえず格闘物の漫画を読ませるのは18禁本を読ませるより危険な事が分かった。
「さて、余計な痛みも増えた事だし、風呂にでも入って無難に肩の疲れでも落とすか…」
「えっ、祐一これからお風呂に入るの?」
「どうかしたか?」
「ううん、どうもしない」
「という訳だ、用がないなら部屋から出ていってくれないか?」
「分かった」
 真琴が部屋から出ていったのを確認し、私は風呂場へと向かう。
(ふう、散々だったな…。まあ、善意で行動したのだから、多少は多めに見てやるか…)
「祐一〜、一緒にお風呂入ろ〜」
「ま、真琴一体何しに…」
 風呂にゆったりと浸かっていた最中、突然目の前にバスタオルに身を包んだ真琴が現れ、私は同様を隠せなかった。
「だから、一緒にお風呂に入りにきたのよぅ」
「一緒にって…そんな事出来るわけないだろうっ」
「えっ、何で?」
 その無邪気な動作とは裏腹に、意外とスタイルの良い真琴。年頃の少女と共に風呂に入る、これは漢ならば誰もが夢見る状景だろう。しかも少女の側から積極的に望んでいるのだ。本来ならこの状景を断る所以は何処にもない。しかし、もし名雪辺りにでも見つかったらただでは済まされない。まあ、実際は真琴と一緒に入るのが恥ずかしいだけなのだが…。
「とにかく、駄目なものは駄目だ!」
「あっ、祐一…」
 静止しようとする真琴を払い除け、私は急いで風呂場を後にした。
(全く…、真琴の奴何考えてるんだ…。でもまてよ…、狐の「真琴」なら一緒に風呂に入った事があるような…。さぶっ!…すっかり湯冷めしてしまったな…)
 湯冷めした体を暖め直すように、私は深い眠りへと就いていった…。


「さっ、真琴、一緒にお風呂入ろ〜」
「あうーっ」
「祐一、真琴ちゃんと一緒に入るの?」
「いいじゃないか、真琴だってこんなに喜んでるじゃないかぁ」
「でも、真琴ちゃんメスだよ」
「人間と狐なんだから性別はあまり関係ないだろ。それとも名雪、ひょっとして真琴がうらやましいのか?」
「わっ、そ、そんなことないよ〜」
 真琴を拾ってきてから何日かたったある日、僕は突然真琴と一緒にお風呂に入ることを思いついた。
 服を脱いでお風呂場に入ると、僕はまず真琴の体を洗ってやった。
「どうだ真琴、気持ちいいか?」
「あうーっ」
「そうか気持ちいいか」
 実際真琴が人間の言葉をしゃべっているわけじゃないから、本当に気持ちいいかどうかは分からない。だけど、僕の問いに反応した真琴の鳴き声がうれしそうだったから、勝手に気持ちいいんだろうと思った。
「だいたい洗い終わったな…。じゃあ、一緒に入るぞ」
「あうーっ」
「ははっ、真琴よせってば〜」
 お風呂に入るといきなり真琴がお湯をかけてきた。
「ようしっ、おかえしだぁ〜。それっ」
「あうーっ」
 そんな感じで上がるまで真琴とじゃれあった。僕の動作の一つ一つに答えるように反応する真琴。その反応の仕方は狐というよりは人間みたいだった。もしかしたら真琴は人間の感情を、人間のように感じ取れるんじゃないか?そんなことを思った。
「ふ〜、あったまったぁ〜。じゃあ、そろそろ寝るか」
「あうーっ」
 真琴を拾ってきてから、真琴と一緒に寝るのは日課になった。名雪が一度でいいから真琴と一緒に寝させてと言っているけど、真琴のふさふさした体があまりに気持ちいいのでそのつもりはない。それに真琴自身僕と寝るのを気に入ってるようだから、名雪とは寝たがらないだろう。
「あうー…」
 僕の胸にしっかりとよりそって眠る真琴の頭をなでてやると、真琴は寝言のように鳴き出す。そして、その気持ちのよさそうな真琴の鳴き声を聞きながら僕も深い眠りに入っていく…。


「朝〜、朝だよ〜。朝御飯食べて、学校行くよ〜」
「ふああ〜、朝かぁ〜。さて、いよいよ予餞会も明後日か。練習にも気合が入るな」
 だが、体を起こそうと思ったら、背中に何かが負ぶさっているのか、体が思うように動かなかった。
「うあっ…ま、真琴…」
 いつの間に部屋に入ったかは分からないが、真琴が私の背中に負ぶさっていた。
「おい、真琴離れろっ」
「あ、あうー…」
 そう呼びかけたが、真琴は一向に起きる気配がなかった。
「…仕方ない、もう暫くこのままにしておくか…」
「あぅ…、祐一の背中あったかい…。お父さんの様にあったかいよぅ…」

…第拾八話完

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